ez-going’s diary

何かと失った男の戯言。

「気力を失った男」②

出掛けるためにバイクに乗った。

正確に言うと、乗るかどうか30分ぐらい悩んだ。

またエンジンが急に止まりそうだからだ。いや、止まるイメージしかなかった。

いつものマイナス思考の沼に溺れそうになる。

 

俺は基本的にネガティブだ。人からもそう言われる。

何か出来事が起こった場合、すぐにマイナスのイメージが出来上がってしまう。

 

例えば飛行機に乗る時、「これ、墜落するんじゃないか。。。」と思うし、人間ドックに行けば、「俺ぜったい重い病気になってる」などと考える。

日常こんな感じだから、周りからは少々うんざりされるぐらいネガティブなんだと思う。正直、自分でも嫌になるぐらいの時もある。

 

振り返ると、小学校高学年ぐらいからそういう感じだったような気がする。

ではなぜこんなにネガティブ思考になっているのか。

 

 

出掛けたのはカウンセリングを受ける為だった。

コロナで解雇になって以降、どうも自分が無能な人間で必要とされないのだと決めつけている。自分で決めつけたくせにそれに悩んでいるという、なんともバカな話だが本人は至って真剣だ。

 

誰にも相談できないので、心理カウンセラーのところに行った。

ネットで探した、いかにも怪しそうなカウンセラーだったがそんなことは関係ない。とにかく話したいのだ。

 

無駄に観葉植物の多い部屋で、無駄にデカい一人用ソファに座り、観葉植物と一体化しそうなカウンセラーに向かって話した。

 

現状の話をした後、過去の自分について回想する。

 

カウンセラーが指摘したのは小学校時代の少年野球チームでの経験だった。

そしてそれが、48歳になる今に至って俺の思考を支配しているらしい。

アドラーに言わせると、そんな思考は存在しない、となるだろう。

そうなると決めたのは自分。ネガティブなのも自分で決めた生き方。

 

だけど、少なからず当時の記憶は自分の思考になんらかの影響を及ぼしていることは明確だ。要は選択の問題。俺はその当時では処理できない「ネガティブ」という思考をなすがまま選択してしまったに過ぎない。

 

ならそれを捨てればいい。

 

何を捨てるのか。何を。どうやって。

 

 

カウンセリングからの帰り、バイクで川の土手を走っていると河川敷で野球少年が練習をしていた。

 

バイクを止めてその様子を見る。

10番を付けた少年がこっちを見ていた。何か言いたそうな目で見ているような気がした。あの子もあの時の俺と同じなのかもしれない。

 

そういえば今日はエンストしてないな。思っていた事柄の9割は起こらない。

でも1割は起こる。またか。

 

12歳の自分がこっちを見ていた。